1砂漠のマスカレード ★2020/01/11(土) 13:54:16.71ID:O/pFjZby9 同窓会からの離脱
年末年始、それは地元で過ごす一部の独身女性にとって、ブルーな気持ちを引き起こすシーズンかもしれない。
義実家というアウェーに乗り込む嫁VSホームを荒らされまいとする姑に注目が向けられがちだが、その激しい攻防戦の板挟みになる小姑(私だ)や、
既婚者だらけの新年会で心細い思いをする人種も確実に存在する。私の後半生における年末年始を追体験してもらい、独身女性の哀歌に耳を傾けてほしい……。
私は富山で「ピストン藤井」という名でライター活動をしている。2008年、29歳になる年に東京から富山に帰郷し、
は実家の薬局で働きながら、富山のユニークな人々や場所について書き連ねている。
昨年10月には本名の藤井聡子名義で、初めて単行本『どこにでもあるどこかになる前に。〜富山見聞逡巡記〜』(里山社)を出した。
北陸新幹線開業によって、表面上は開かれた街づくりを推し進めつつも、富山の実体はバリバリの保守王国である。
結婚し、家を建て、子を育てることが大前提のこの地で、どうにかして居場所を確保しようとする独身アラフォー女のジタバタが、この本には書かれている。
きっと自分が思っている以上に痛々しいのだろう。高校の同級生のA(独身/東京在住)からは、「身につまされすぎて読むのがしんどかった」と言われてしまった。
Aとは富山で共に年を越すのが高校時代からの恒例となっている。当初はAと私を含めて10人ぐらいで集まっており、大学進学、就職などでそれぞれ富山を出てからも、大晦日には誰かしらの家で騒いでいた。
しかしこの20数年でほとんどのメンバーが結婚、出産を機に卒業していった。
昔は他にも年末年始の同窓会的な集まりがあったはずだが、
今では大晦日に東京から帰省したAを、私の手料理でもてなす「無国籍料理☆ウンジャラゲ藤井」の会があるのみだ。
所帯を持っている同級生たちは家族と過ごしているだろうし、帰省した友を囲む会があったとしても、私は誘われていないのだろう。
同級生が家を建てた話を聞いても…
でも正直に言うと、年末年始の同窓会に行くのは年々、億劫になっていた。東京に住んでいた頃はそうでもなかったが、富山に帰郷して既婚者に囲まれるようになってからは、その傾向は加速しているように思う。
かつて年始の同窓女子会に出向いたら、子連れのファミリー会だったのでうろたえた。いくら友達の子とはいえ、
私にとっては初対面の相手である。ギャン泣きする小さな見知らぬ人たちに、どう対処していいかがわからず、ぐったり疲れ果ててしまった。
ある年の新年会では高校時代の同級生が集結したのだが、所帯をもち、立派に独立した面々が家を建てた話→太陽光パネルを設置した話→売電・蓄電の話で場が盛り上がるなか、
ひとり無の境地で「は〜」「へ〜」「ほ〜」と「は行」を唱え続けた。家、子供、PTAといった、みんながざっくばらんに共有できる引き出しが自分にはないことを知り、肩身の狭い思いをした。
同窓会に誘われなくなったのは、私が行かなくなったからだった。
つまらなさそうな顔をして同窓会を盛り下げてしまうよりかは、なじみの酒場の新年会に出向いて、常連客と「勝駒・純米大吟醸」をワハハ酌み交わすほうがよっぽどいい。
そう思いつつも、同窓会に行かない(行けない)ことを顧みて、場を取り繕えない自分の度量の小ささが後ろめたくもなる。年末年始の賑々しくおめでたい雰囲気に似つかわしくない、なんとなくブルーな気分。
独身アラフォーの私にとって、この気持ちはもはや年末年始に恒例のものとなっている。
「結婚は?」の責め苦
かたや、富山という地元に暮らす私とは違い、東京から地元に帰ってくるAのブルーは、もう少し憂鬱度が深い。Aも私と同様に旧友たちと縁遠くなり、最近では親戚の集まりにも顔を出さなくなったらしい。
正月の大一番、親戚オールスターズを相手にした「結婚はどうするの?」「ほっといてくれや」合戦に辟易したのだという。いわゆる「帰省ブルー」だ。
せっせと東京で必死こいて働いてきたというのに、独身というだけで、富山では落ちこぼれ認定されてしまう。そりゃブルーにもなるし、空しくもなる。
https://news.livedoor.com/article/detail/17648483/
2020年1月11日 6時0分 現代ビジネス
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