1ごまカンパチ ★2020/01/02(木) 15:00:52.03ID:KYrVtSft9 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200101-03258328-clc_toho-cn
古代中国の「三国志」の世界で活躍した武将・関羽(Guan Yu)は、中華圏の民間信仰で広く「神」としてあがめられている。
武勇・忠義の象徴であり、時代を経てなぜか「発財(お金がたまる)」の神とされている。
横浜・中華街の関帝廟(かんていびょう)も有名だが、その関羽をまちおこしの目玉として活用する動きが中国本土などで広がっている。
台湾の対岸に位置する中国・福建省(Fujian)漳州市(Zhangzhou)南靖県(Nanjing)で昨年11月25日、中国と台湾(両岸)で関羽を信仰する1000人以上の人が集まり、
「両岸関帝文化フェスティバル」が開催された。
関帝廟で礼拝したほか、「心中有関公 做事定成功」(心中に関公がいれば、物事は必ず成功する)という横断幕を掲げた。
漳州市は、東南アジアなどに暮らす華僑や台湾人の重要なルーツの地。
漳州市内のうち南靖県(中国では市が県より大きな行政単位)だけでも、華僑の3万人強、台湾の100万人強のルーツにあたるという。
南靖県でも台湾人の間でも関羽信仰が盛んなことから、交流の起爆剤として関帝文化フェスティバルが行われている。
台湾南部の高雄市(Kaohsiung)から訪れた台湾側代表の楊以能(Yang Yineng)さんは
「忠、勇、仁、義、礼、智、信に代表される関帝の精神は、両岸民衆の心の中に深く根付いている」と話した。南靖県をルーツとする華僑とも交流があり、
タイ、マレーシア、シンガポール、香港でも関羽信仰を通じた交流活動が続いている。
■理想の存在から「万能の神」へ
河東(今の山西省<Shanxi>)の解州(Haizhou)出身の関羽は、衰えた漢朝の復興を目指す劉備(Liu Bei)が旗揚げした時から従い、敵将を次々と倒した歴戦の猛将。
天下の実権を握っていた曹操(Cao Cao)が劉備を破り、劉備と生き別れとなった関羽は一時曹操に身を寄せた時も、劉備への恩義を忘れず曹操からの褒美をすべて返し、
劉備のもとに帰参した。
無敵の強さを誇り、あるじのために尽くす関羽は民衆にとって理想の存在となり、歴史が下って明代や清代に小説「三国志演義」が広まると、「忠義の英雄」として
信仰の対象となっていく。道教や仏教系の寺院では、「美鬚公(びぜんこう)」といわれた関羽そのままに黒ひげをたくわえた像が祭られた。
清代では孔子を祭る「文廟」と関羽を祭る「武廟」がセットになって各地に設けられ、ついに儒教の祖・孔子と肩を並べることに。
農村では雨乞いのため関帝廟を拝むこともあり、「万能の神」になっていく中で、「武神」が「財神」の役割も兼ねたとされる。
また、関羽の出身地・解州は中国有数の塩の生産地で、関羽は劉備と出会う前は塩商人だったという説がある。
清代になると塩は国の税収の主力財源となり、塩商人たちが自分たちの守護神として関羽を積極的にPRした。それも財神のイメージにつながったといわれる。
そうした万能の神・関羽は中華圏の人々にとって、互いの主義主張や所属する国家を超えた存在だ。
仲が悪かったり疎遠だったりする人同士が、同じ趣味を持つと分かって一気にうち解けるということは日常でもままあることだが、中華のルーツを揺さぶる関羽は
民族全体を取りまとめる力を持っている。先の「両岸関帝文化フェスティバル」主催者たちも「関帝の縁(えにし)で中華を結ぶ」をスローガンとしている。
関羽が死んだ西暦220年から、来年で1800年。時を超え、関羽は今も「活躍」を続けている。
powered by Auto Youtube Summarize