1ramune ★2020/06/11(木) 09:22:07.96ID:J9wWUK1R9 「拉致の安倍」が何も出来ずに終わる舌先三寸の18年間――横田滋さんが亡くなった機会にもう一度振り返る
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父=滋さんが亡くなったことについて、安倍晋三首相は6月5日、記者団に対し、
「痛恨の極み」「断腸の思い」「本当に申し訳ない思いでいっぱい」などと、相変わらずの空疎な決まり文句を並べ立てはしたものの、
滋さんが深い無念を胸に抱えたまま87歳の人生を閉じざるを得ない結果となったことへの自分の責任について言及することはなかった。
いや、もし記者がそこを問えば、彼は「責任は感じている」と答えただろう。
しかし、皆さんもご存知の通り、安倍首相にとって責任は「感じる」ものであって、決して「とる」ものではないのだから、訊くだけ無駄というものである。
「拉致」から生まれた安倍政権
安倍首相が総理へのチケットを手にしたきっかけが、拉致問題にあったことは周知の通りである。
2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝による日朝平壌宣言に基づいて、翌月に5人の拉致被害者が日本に“一時帰国”した際に、
福田康夫官房長官や田中均外務審議官らが約束通り5人を一旦北に戻そうとしたのに対し、
副長官だった安倍首相が独りこれに反対して戻さないという政府決断を主導したとして、
国内の保守派や嫌北勢力の間で「格好いいじゃないか」と大いに評価が高まった。
それが、小泉氏による事実上の後継指名を得て一気に総理の座に駆け上がるバネとなったのである。
その保守派の気分をよく伝えていたのは、彼らが大いに期待した第1次安倍政権が惨めな崩壊を遂げた際の、
中西輝政=京都大学教授の『諸君』07年10月号の論文だった。彼はこう述べた。
(中略)
虚像性の第1は、安倍首相は中西氏らが言うほど熱心かつ一貫した対北強硬論者ではないということである。
蓮池透氏の15年12月の新刊『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)は大きな波紋を呼び起こした。
(中略)
世間では北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。
……安部首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。
いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安部首相によるものなのである。
まず、北朝鮮を悪として偏狭なナショナリズムを盛り上げた。そして右翼的な思考を持つ人々から支持を得てきた。
アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史の中で、唯一「被害国」と主張できるのが拉致問題。
(中略)
表だけで裏の手を用意しない単純さ
虚像性の第2は、最初からか途中からかは別にして、彼が5人を「戻さない」ことを主張したのは事実で、
問題は、私が終始指摘してきたことだが、それでどうやって北との交渉を継続していくのか、
何のアイデアもないまま感情論だけで突っ走ってしまったことである。本誌はかつてこう書いている。
(中略)
ちなみに、私の提案に対する安倍首相の答えは「フン」の一言だった。やはり外交というのは、
表で突っ張るだけでは決裂するしかなくて、突っ張るほどに裏では落とし所を用意し、
さらにそれがうまく行かない場合には第3の離れ業も隠し持っておいて、押したり引いたりして繋いでいくものだろう。
安倍首相という人は頭が単線的で、複数回路を同時多発的に動かすことができないので、
外交というのみならずおよそ交渉して相手を説得して物事を進めるということに向いていないということを悟ったのだった
この「フン」の結果として何が起きたか。以後今日に至るまで、日朝間にまともな交渉チャンネルが存在しないままの状態が生まれた。
自分でチャンネルを破壊しておいて、「拉致問題を解決するためにあらゆるチャンスを逃さない。
最後は、私自身が金委員長と向き合わなければならない」などと遠吠えしても、
口先だけなのは見え見えで、向こうから相手にされないのは当たり前なのである。
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