噴火による火砕流の犠牲者が1500年の永い眠りから目を覚ました

1樽悶 ★2020/06/13(土) 19:56:49.13ID:ciZGcYiw9 古墳人が身につけていた甲(よろい)=群馬県渋川市北橘町、県埋蔵文化財調査センター発掘情報館、柳沼広幸撮影
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 火山と共に暮らす群馬を象徴するような発見だった。榛名山のふもとの渋川市金井の金井東裏遺跡で8年前、古墳時代の人骨が甲(よろい)をまとった姿で見つかった。「甲を着た古墳人」の発掘は日本初。噴火による火砕流の犠牲者が1500年の永い眠りから目を覚ました。

 甲は、小さな鉄の板(小札(こざね))1800枚を絹糸の組みひもでつなぎ合わせた当時の最新技術だった。人骨の下には冑(かぶと)も。別の甲も巻いた状態で見つかった。中にあった鹿の角で作られた小札の発見も国内初。銀と鹿角(ろっかく)で飾った矛(ほこ)も発掘。人骨は40代の男性で身長は164センチと推定された。渡来系の特徴があった。

 男性は榛名山の方に向かってひざをつき、うつぶせに倒れていた。「山の神に祈っていたのか、戦いを挑む姿をみせて邪(じゃ)を払おうとしていたのか」。発掘調査した県埋蔵文化財調査事業団の杉山秀宏・上席調査研究員は、発掘状況や遺物から、災厄を避ける儀式を行おうとしていた可能性があるとみている。

 甲や冑、武器は装飾的で、実用というより権力の象徴とみられる。近くでは朝鮮半島から伝わった馬が育てられ、鉄器や鹿角器が作られていた。「専門的な技術者集団の村があり、そこの長(おさ)だったのでは」と杉山さん。首飾りと一緒に見つかった女性「首飾りの古墳人」や、5歳前後の幼児、乳児の人骨も発掘された。人の足跡や馬のひづめ跡、祭祀(さいし)跡からは大量の土器。火砕流で人々の営みが一気に埋まり、当時の生活ぶりを今に伝えている。(柳沼広幸)

6/13(土) 16:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200613-00000032-asahi-soci

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